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深尾重方[ふかお しげかた] 深尾 重方(ふかお しげかた、寛文12年(1672年) - 享保16年3月24日(1731年4月30日)は、土佐藩の重臣。4代佐川領主。通称は初め若狭、のち本江。 == 来歴 == 深尾重次の子として生まれる。寛文12年(1672年)、重次が早世する。元禄2年(1689年)、祖父重照の死去により家督を相続する。 元禄2年(1689年)に藩内の高名な儒学者である谷秦山を佐川に招いて家臣に講義を受けさせ、元禄8年(1695年)に伊藤東涯門下の儒学者江田成章を儒臣として登用するなど、学問を奨励した。 元禄13年(1700年)、藩主山内豊房家督相続の御礼言上の際に、将軍徳川綱吉に拝謁する。宝永3年(1706年)、藩主豊房の病が重篤な時、誤りを伝え聞いてこれを信じ、藩主の死の前日も平常の行動を取ったため、これを咎められて職を免ぜられ、かつ待遇は平家老に准ぜられた。嗣子繁峯が職を継ぎ、重方は領内鷺州に蟄居する。藩の処置の過酷さに家臣一同大いに騒いだが、重方の懇撫によって事なきを得た。以来屏居26年、1731年(享保16年)3月24日没。60歳。
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