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深見 泰三(ふかみ たいぞう、1901年(明治34年)1月22日 - 没年不詳)は、宮崎県出身の俳優〔KINENOTE 深見泰三の項 〕。本名は植岡 隆逸(うえおか りゅういち)。 == 来歴・人物 == 1901年、宮崎県で生まれる。実家は旅館業を経営していた。京都府立美術工芸学校(現在の京都市立銅駝美術工芸高等学校)中退。 1926年5月、坪内士行らの宝塚国民座の創立に参加し俳優となる。1929年、松竹大阪の専属俳優となり、同年8月には大阪浪花座で旗揚げした関西歌舞伎の阪東壽三郎を中心とする第一劇場に参加した。同劇場には小堀誠、吉田豊作、進藤英太郎、八雲恵美子などがいた。1933年に更生新声劇に加わる。 1936年に急遽、溝口健二監督映画『祇園の姉妹』の出演が決定する。撮影前、カメラに慣れる為に石本統吉監督映画『与太者サーカス』で月田一郎と共演し、映画デビューを果たす。そして、同年10月に公開された『祇園の姉妹』では山田五十鈴に扮する妹芸者に騙され、主家の金に手をつけてクビになる商人を演じた。これには進藤も出演している。その甲斐があって第一映画社解散後、深見は東宝の前身であるJ.O.スタヂオに入社。東宝に合併した後も専属俳優として数多くの作品に出演した。 戦後になっても引き続き東宝で活躍していたが、1951年に第一協団に加わり東京映画に移籍。1955年には日活と本数契約して数多くの作品に出演する傍らテレビドラマにも出演していたが、後に難聴となり俳優を引退した。その後の消息は明らかになっていない。没年不詳 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「深見泰三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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