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淵上誠 : ウィキペディア日本語版
淵上誠[ふちがみ まこと]

淵上 誠(ふちがみ まこと、1983年7月30日 - )は、日本のプロボクサー鹿児島県阿久根市脇本出身。鹿児島県立出水工業高等学校卒〔朝日新聞 2011年8月31日 〕。
第54代日本ミドル級王者。第43代・第44代OPBF東洋太平洋ミドル級王者。八王子中屋ボクシングジム所属。
== 来歴 ==
アマチュアボクシングでは12戦5勝7敗の戦績を上げ、上京しプロ入りを果たす。
2004年6月12日、茅ヶ崎市総合体育館で鈴木典史(ピストン堀口)と対戦し、3回2分46秒TKO負けを喫しデビュー戦を勝利で飾れなかった。
2005年9月27日後楽園ホールで行われた第62回東日本ミドル級新人王決定戦予選で、全日本新人王となる古川明裕(ワールド日立)と対戦し、プロ初のKO負けとなる3回2分56秒TKO負けを喫した。
2006年11月3日京王プラザホテル八王子で吉田真樹(新日本カスガ)と対戦し、3-0(60-54、59-54、59-54)の判定勝ちを収め、第63回東日本ミドル級新人王を獲得した。
2006年12月17日全日本新人王決定戦で西軍代表の西日本新人王福森智史と対戦し、3-0(58-57、58-57、58-57)の判定勝ちを収め、第53回全日本ミドル級新人王を獲得した。
2007年7月21日、後楽園ホールで日本ミドル級王者江口啓二(姫路木下)と対戦し、0-3(93-99、93-99、94-99)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。
2007年11月14日、京王プラザホテル八王子で吉田真樹(新日本カスガ)と対戦し、5回1分41秒、3-0(50-45、50-45、50-45)の負傷判定勝ちを収め、再起に成功した。
2008年10月8日最強後楽園決勝で氏家福太郎(新日本木村)と対戦し、2-1(78-75、77-76、75-77)の判定勝ちを収め、最強後楽園優勝を果たし、チャンピオンカーニバルへの出場権を獲得した。
2009年4月11日大阪府立体育会館で日本ミドル級王者鈴木哲也(新光)と対戦し、1-2(95-97、96-95、95-96)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。この試合はサウスポー同士の一戦であった。
2009年8月10日、後楽園ホールで岡田山金太郎と対戦し、8回2分8秒TKO勝ちを収め、再起に成功した。
2010年4月26日、後楽園ホールで岳たかはし(川崎新田)と対戦し、日本王座挑戦前哨戦として行われたサウスポー対決を制し、3-0(76-75、77-75、77-75)の判定勝ちを収めた。
2010年10月3日松下IMPホールで日本ミドル級王者鈴木哲也と1年6ヵ月ぶりに再戦し、6回45秒TKO勝ちを収め、プロ20戦目で悲願の日本ミドル王座の獲得に成功した。
2011年2月4日、後楽園ホールで日本ミドル級1位の氏家福太郎(新日本木村)と対戦し、8回1分52秒TKO勝ちを収め初防衛に成功した。
2011年6月13日、後楽園ホールで日本ミドル級7位田島秀哲(西遠)と対戦し、田島の5回終了時棄権により2度目の防衛に成功した。
2011年8月8日、後楽園ホールで日本ミドル級6位細川貴之(六島)と対戦し、6回2分7秒TKO勝ちを収め3度目の防衛に成功した。
2011年12月12日OPBF東洋太平洋ミドル級王者佐藤幸治(帝拳)との日本・OPBFミドル級王座統一戦に臨んだ。2回と6回にダウンを奪われ、ポイントでは劣勢であったが、9回に集中打を浴びせ、9RTKO勝ちで日本王座の4度目の防衛とOPBF王座の獲得に成功、日本王座とOPBF王座の統一に成功した〔佐藤負けた! 淵上殊勲のミドル級2冠王 Boxing News 2011年12月13日〕。この試合は米国の複数ウェブサイトで年間最高試合候補となった。ボクシングライターのセオドア・サレスは、この年の年間最高試合にポンサワン・ポープラムック八重樫東戦を選び、佐藤対淵上戦を次点として発表している。サレスは長年のキャリアで観てきた中でも最も劇的な復活劇のひとつであるとし、ポンサワン対八重樫戦とは紙一重で年間最高試合を逸したが、選考の上でこれら2試合を大きく隔てるものは何もなかったと書いている〔Ted Sares Ted the Bull’s Boxing Awards for 2011 BOXING.com 2011年12月18日 〕〔Ted Sares Fight of the Year: Akira Yaegashi vs. Pornsawan "Terminator" Porpramook East Side Boxing.com 2011年12月20日 〕。
2011年12月19日、日本ミドル級王座を返上した。
2012年4月9日、後楽園ホールでOPBF東洋太平洋ミドル級1位の郭京錫と対戦し、10回44秒TKO勝ちを収めOPBF王座の初防衛に成功した。
2012年5月、世界王座に挑戦する為にOPBF東洋太平洋ミドル級王座を返上した。
2012年5月12日ウクライナキエフ州ブロヴァルィーのアイス・パレス“ターミナル”でゲンナジー・ゴロフキンカザフスタン)の持つWBA世界ミドル級王座とIBO世界ミドル級王座に挑戦するも、3回TKO負けを喫しWBA王座獲得に失敗すると共にIBO王座獲得にも失敗した〔淵上はTKO負け=海外挑戦36試合失敗-WBAミドル級 時事通信 2012年5月13日〕。
2012年10月12日日野市市民の森ふれあいホールにおいて自身の世界王座挑戦の為の王座返上に伴うOPBF東洋太平洋ミドル級王座決定戦でOPBF2位として1位のマーロン・アルタ(フィリピン)と対戦する予定だったが、アルタが前日計量で300gの体重超過があり失格となった為、淵上が勝てば王座獲得、アルタが勝てば王座は空位となるという変則タイトルマッチとしてOPBF東洋太平洋ミドル級王座決定戦が行われ、試合序盤はアルタとの接近戦で手が出ず4回終了後の公開採点では1-2と淵上が劣勢だったが、5回から淵上が距離を置き、淵上の左の強打がアルタに決まり始め、序盤の劣勢を挽回し、逆に試合を優勢に進め、6回終了時にアルタが棄権を申し出た為、淵上が5ヵ月ぶりにOPBF王座に返り咲いた〔淵上が王座復帰=OPBFミドル級 時事通信 2012年10月12日〕。
2013年5月4日、後楽園ホールで日本スーパーウェルター級王者柴田明雄と対戦し、9回1分7秒、0-3(83-87、82-89、81-89)の負傷判定負けを喫しOPBF王座の初防衛に失敗、OPBF王座から陥落した〔柴田が淵上を下す OPBFミドル級新王者に ボクシングニュース「Box-on!」 2013年5月4日〕〔【BOX】柴田、ミドル級奪取も「村田の方が強い」 スポーツ報知 2013年5月5日〕。
2014年3月1日、後楽園ホールで日本ミドル級5位の西田光(川崎新田)と日本ミドル級挑戦者決定戦を行い、0-3(75-78、75-77、76-77)の判定負けを喫し日本王座への挑戦権獲得に失敗すると共に再起にも失敗した〔柴田がミドル級王座統一、中川を判定で下す Boxing News(ボクシングニュース) 2014年3月1日〕。
2014年7月23日、後楽園ホールでジャーメド・ジャラランティ(インドネシア)とノンタイトル8回戦を行い、2回1分15秒TKO勝ちを収め再起を果たした〔加藤現役最多のV7 斉藤を8回TKO Boxing News(ボクシングニュース) 2014年7月23日〕。
2014年12月6日、後楽園ホールで日本ミドル級2位・OPBF東洋太平洋4位として柴田明雄の持つ日本王座並びにOPBF東洋太平洋王座に挑戦したが、12回1分49秒TKO負けを喫し、王座返り咲きに失敗した〔 Boxing News(ボクシングニュース) 2014年12月6日〕。1年7ヵ月ぶりとなる柴田との再戦だったが雪辱を果たすことは出来なかった。
2015年8月7日、後楽園ホールで日本ミドル級3位の西田光(川崎新田)とノンタイトル8回戦を行い、5回2分36秒TKO負けを喫した〔石本康隆が古橋岳也に競り勝つ、日本ランカー対決 Boxing News(ボクシングニュース) 2015年8月7日〕。1年5ヵ月ぶりとなる西田との再戦だったが雪辱を果たすことは出来なかった。
2016年1月20日、後楽園ホールで美柑英男(渥美)とミドル級8回戦を行い、5回2分10秒TKO勝ちを収め再起を果たした〔新藤寛之が日本W級新王者、粘る大川を振り切る Boxing News(ボクシングニュース)2016年1月20日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「淵上誠」の詳細全文を読む



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