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清元 寿國太夫(きよもと じゅくにだゆう、1909年3月13日 - 1998年12月6日)は、清元節の太夫。本名、新野剛一。東京都墨田区出身。 == 経歴 == * 1920年 - 清元和三造に入門。 * 1922年 - 清元和吉を名乗り、新富座の「清元流第一回演奏会」で初舞台。 * 1923年 - 改めて四代目清元栄寿太夫に入門、清元延寿太夫社中となり三代目清元菊輔を襲名。 * 1925年 - 宗家代稽古として関西に派遣され、家元宅にて若手育成の稽古を8年間勤める。 * 1933年 - 2月25日三味線立格に昇進。 * 1933年 - 5月、明治座の『保名』(六代目 尾上菊五郎所演)で五代目清元延寿太夫の立三味線を勤める。 * 1941年 - 9月30日、太夫に転向、清元寿國太夫の名を家元から許される。 * 1952年 - 9月、大阪・文楽座にて「在阪三十五周年記念演奏会」を開催。 * 1961年 - 9月清元美月太夫に改名、9月26日~27日明治座にて改名演奏会を開催。 * 1962年 - 6月22日~24日、大阪・御堂会館にて「清元美月太夫改名演奏会」を開催。 * 1964年 - 10月、清元協会設立にあたり理事となる。 * 1970年 - 10月4日~5日、国立劇場にて「芸歴五十年記念演奏会」を開く。 * 1976年 - 7月前名の寿國太夫に改名し、7月14日~16日東京証券会館にて改名披露演奏会を開催。 * 1984年 - 10月31日~11月1日大阪・国立文楽劇場で「芸道六十五周年記念演奏会」を開催。 * 1996年 - 12月歌舞伎座夜の部、「猿之助四十八撰の内義経千本桜忠信編」の「道行初音旅」(三代目 市川猿之助の佐藤忠信、七代目 中村芝翫の静)のタテ浄瑠璃で出演。いつもは竹本との掛合上演が多い場面を、清元の単独演奏で上演した。これが最後の舞台出演となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清元寿國太夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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