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清元延寿太夫 : ウィキペディア日本語版
清元延寿太夫[きよもと えんじゅだゆう]
清元 延寿太夫(きよもと えんじゅだゆう)は、江戸浄瑠璃清元節宗家高輪派家元である。正式表記は旧字の延壽太夫。現在まで7代ある。
3代目を除く5代目までの墓所が台東区浄心寺にある。
== 初代 ==
安永6年(1777年) - 文政8年5月26日1825年7月11日))通称は岡村屋吉五郎。
江戸横山町の茶油商に生まれる。1794年富本節の初代富本斎宮太夫(後に剃髪して清水延寿斎)の養子、高弟の弟子で斎宮吉から1797年に2代目斎宮太夫を襲名。1812年に富本節を離れ豊後路清海太夫の名で一派を設立し1814年に清元延寿太夫を名乗り清元節を創設した。
従来の美声に庶民の風俗、世相、時代を取り入れ清元節の隆盛の基礎を築く。1824年に剃髪して清元延寿斎を号した。翌年劇場の帰宅途中に何者かに刺殺される。犯人は延寿太夫の活躍を妬んだ富本の仕業とされたが犯人不明。
当時あまりにも人気だったため「都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫に鶴屋南北」という落書が読まれるほどだった。「累」「山姥」「須磨」等を語り評価を受ける。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「清元延寿太夫」の詳細全文を読む



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