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清円院 : ウィキペディア日本語版
清円院[せいえんいん]
清円院(せいえんいん、弘治2年(1556年)? - 天正7年3月24日1579年4月19日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての女性。上杉景虎の正室(継室)。長尾政景の娘(長女)。実名は伝わっておらず〔一部書籍では華(はな)姫と記述するものもある。〕、法名は華渓正春大禅定尼。法名から俗に華渓院とも呼ばれる。鎌倉明月院には清円院殿貞鏡尼公と記された位牌も伝わる〔「外姻譜略」(『上杉家御年譜 二十三』)〕。
== 略歴 ==
元亀元年(1570年)、越相同盟が成立し、北条氏康の子三郎が春日山城に入ると、叔父上杉謙信によって三郎に嫁ぎ、三郎は名を上杉景虎と改めた。翌年には嫡男道満丸を出産した。
しかし天正6年(1578年)の謙信の没後、その養子である夫景虎と実弟(兄ともいう)〔江戸期の軍記物の影響で、以前は長尾政景の次女で上杉景勝の妹とされていたが、近年は政景の長女で景勝の姉というのが定説とされる。〕の景勝との間で家督争い、いわゆる御館の乱が起こると、景虎とともに御館に籠もる。しかし景勝軍の攻撃により御館は落ち、自害しようとする景虎を御館より逃し、自身は景勝からの降伏勧告を拒んで御館に留まり自害したという。しかし、諸系図に記されている没日(3月24日)が正しければ、御館ではなく、景虎とともに鮫ヶ尾城で死亡した可能性が高い。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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