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清原 令望(きよはら の よしもち、生没年不詳)は、平安時代の官人。姓は真人。舎人親王の後裔である右京亮・清原長統(長統王)の子。子に仲海がいた。官位は従五位上・大宰少弐。 == 経歴 == 元慶2年(878年)正六位上左衛門少尉の時、秋田城下の乱において小野春風に従い、出羽権掾として下向。乱を平定後、秋田城司となり城介の代行を務め、俘囚の長の役目を担った。仁和2年(886年)従五位下に叙せられ、その後、散位を経て、翌仁和3年(887年)修理大井堰使を務めた。寛平6年3月13日(894年)大宰少弐に任ぜられる。 出羽国仙北の清原氏の始祖ともいわれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清原令望」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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