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清原岑成 : ウィキペディア日本語版
清原岑成[きよはら の みねなり]

清原 岑成(きよはら の みねなり)は、平安時代前期の公卿。当初美能王次いで岑成王を称するが、臣籍降下して清原真人姓を賜与された。舎人親王の玄孫。筑後守弟村王の子。


== 生涯 ==
天長5年(828年近江大掾を経て、天長6年(829年従五位下筑後守に叙任される。その後、天長9年(832年)従五位上、天長10年(833年正五位下承和元年(834年従四位下と、淳和朝から仁明朝初頭にかけて順調に昇進を重ねる。またこの間の天長10年(833年)には美能王から岑成王に改名している。
承和7年(840年)淳和上皇の崩御にあたっては、養役夫司を務めている。承和11年(844年越前守に任ぜられて当初は赴任するが、休暇により帰京したまま隠棲して出仕しなかったことから、同年10月に弾劾を受けて官位を剥奪された。承和13年(846年)赦されて再び正五位上に叙せられ、承和15年(848年)従四位下に復した。この間、大和守美濃守弾正大弼を歴任する。嘉祥2年(849年臣籍降下して清原真人姓を賜与される。同年閏12月左中弁
嘉祥3年(850年文徳天皇即位に伴い蔵人頭に任ぜられる。仁寿2年(852年)2月再度越前守に任ぜられて現地に赴任するが、8月弾正大弼に転任した。以降、斉衡2年(855年)従四位上・右大弁、天安元年(857年)大蔵卿と要職を歴任した。
貞観元年(859年参議に任ぜられて公卿に列す。貞観2年(860年大宰大弐となるが、大宰府へ赴任中の翌貞観3年(861年)2月29日卒去享年63。最終官位は参議従四位上行大宰大弐。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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