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清原正高
清原 正高(きよはら まさたか、生年不詳 - 万寿4年(1027年)2月15日)は、豊後清原氏の祖とされる人物で、「船岡新宮ハ幡縁起」などに言及があるものの、来歴等については諸説があり、実在の人物ではなく伝説上の存在と見なされることもある〔 - 「玖珠川歴史散歩より」とされている記述。〕。 == 伝説 == 清原通雄の子とも、清原元輔の子のひとりともいう。後者とする場合、清少納言の兄にあたるとされる。また、横笛の名手であったともいう。醍醐天皇の孫で、章明親王の姫であった小松女院と通じたとして、少納言を解かれて豊後国玖珠郡に左遷された〔〔。 天延元年(973年)に玖珠に入った正高は、山田郷の地頭であった矢野検校藤原久兼のもとに留まり、その娘を妻とし、嫡子・正通(正道とも)をもうけた〔〔。 後に赦されて京に戻り、山科で晩年を過ごしたとされる〔。 玖珠に伝わる説によると、正高を慕う小松女院は後に当地まで訪ねてきたが、正高に既に妻子がいると知り、三日月の滝に身を投じ、侍女11人もこれに従ったという〔。正高は姫たちの供養に、当地に石祠を建て、また、後の正高寺の前身となる寺を建てたとされる。
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