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清原致信[きよはら の むねのぶ] 清原 致信(きよはら の むねのぶ、生年未詳 - 寛仁元年3月8日(1017年4月7日))は、平安時代中期の官人。肥後守清原元輔の子。兄弟に為成、戒秀らがあり、妹に清少納言がある。 大宰少監などを務め、藤原保昌の郎党としても行動していたが、寛仁元年(1017年)3月8日の夕刻に京の六角・富小路の邸宅を源頼親の指示する騎兵および歩兵二十余名に襲われ殺害された(『御堂関白記』同年3月11日条)。これは主君保昌が大和国内の利権を巡り源頼親(保昌の甥)と競合した際、大和の在地領主で頼親の郎党であった当麻為頼を殺害したことに致信が関与したことに対する報復であったと考えられている。 == 参考文献 ==
* 倉本一宏 『藤原道長 「御堂関白記」 下 全現代語訳』(2009年、講談社) * 元木泰雄 『殺生放逸 朝家の守護 源満仲・頼光』(2004年、ミネルヴァ書房)
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清原致信」の詳細全文を読む
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