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清原 道壽(清原 道寿、きよはら みちひさ、1910年7月18日〔『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 2 (学術・文芸・芸術篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、380頁。〕 - 2002年6月18日〔「清原道寿先生を悼む」佐々木享 〕)は、技術科教員、教育学者。 ==経歴== 福岡県生まれ。1935年東京帝国大学文学部教育学科卒、滝野川区(現北区)立滝野川東高等小学校教師となり工業技術を教える。1943年治安維持法違反で逮捕投獄され、敗戦後45年釈放。目黒区立第六中学校で職業(技術科)を教える。1949年職業教育研究会(のちの産業教育研究連盟)を設立、代表。國學院大學教授、東京工業大学教授。71年定年退官、名誉教授、大東文化大学教授。83-84年学長〔『昭和技術教育史』著者紹介〕。 ==著書== *『教育原理 産業教育の理解のために』立川図書 1953 *『技術教育の原理と方法』国土社 1968 *『昭和技術教育史』農山漁村文化協会 1998 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清原道壽」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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