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清原 道雄(きよはら の みちお、生没年不詳)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。名は通雄とも記される〔『尊卑分脈』など〕。肥後守・清原有雄の子。子に海雄がいる〔有雄・海雄との親子関係の諸説については、清原有雄の項参照。〕。官位は従五位下・駿河守。 == 経歴 == 斉衡4年(857年)従五位下・大学頭に叙任される。天安2年(858年)11月に清和天皇の即位に伴って宮内少輔に任ぜられるが、翌天安3年(859年)正月には早くも上野介として地方官に転じる。 その後、貞観9年(867年)駿河守と、引き続き地方官を務めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清原道雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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