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清原郡(チョンウォンぐん、청원군)は大韓民国忠清北道の中部にあった郡である。郡の西部を世宗特別自治市、南部を大田広域市と接していた。郡庁は清州市にあった。 == 歴史 == ;1914年の行政区画〔(신구대조) 조선 전도부군면리동 명칭 일람 (1917년)〕と現在の行政区画 * 1895年5月26日 - 고종이 전국을 23부로 나누면서 공주부 산하에 청주군, 문의군을 관할하게 하였다. * 1914年4月1日 - 文義郡・清州郡の大部分(青川面を除く)・清安郡の一部(西面)が合併し、清州郡が発足。清州郡に以下の面が成立(18面)。 * 清州面・北一面・北二面・琅城面・江西面・米院面・加徳面・南一面・南二面・養性面・龍興面・賢都面・芙蓉面・四州面・江外面・江内面・玉山面・梧倉面 * 1930年 - 養性面と龍興面が合併して文義面が発足(17面)。 * 1931年4月1日 - 清州面が清州邑に昇格.〔조선총독부령 제103호 (1930年12月29年)〕 (1邑16面)。 * 1946年6月1日〔군정법령 제84호 지방행정의변경 (1946年5月23日)〕(16面) * 清州邑が清州府に昇格、郡より離脱。 * 清州郡が清原郡に改称。 * 1963年1月1日 - 四州面が清州市に編入(15面)。 * 1983年2月15日(14面) * 江西面および琅城面(山城里)・南一面(方西里)・江内面(石所里)の各一部が清州市に編入。 * 文義面の一部(竹岩里)が賢都面に編入。 * 北二面の一部(鶴坪里)が北一面に編入。 * 1989年1月1日 - 報恩郡懐南面(塩峙里)・懐北面(妙岩里・馬東里1区・馬東里2区・馬九里)の各一部が文義面に編入(14面)。 * 1990年8月1日 - 南一面()・南二面()・北一面()の各一部が清州市に編入(14面)。 * 1995年(14面) * 江外面の一部(松亭里)が忠清南道燕岐郡全東面に編入。 * 忠清南道燕岐郡東面の一部(葛山里)が芙蓉面に編入。 * 2000年1月1日 - 北一面が内秀邑に改称・昇格(1邑13面)。 * 2007年1月1日 - 梧倉面が梧倉邑に昇格(2邑12面)。 * 2012年 * 1月1日 - 江外面が五松邑に改称・昇格(3邑11面)。 * 7月1日 - 芙蓉面が世宗特別自治市芙江面に改編。ただし、一部(外川里)は南二面に編入。(3邑10面) * 2014年7月1日 - 清原郡が清州市と合併し、統合清州市が発足。清原郡を廃止 〔통합 청주시법 극적으로 통과국회 본회의 가결...통합작업 가속화 忠清日報 2013年1月1日 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清原郡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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