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清原長谷 : ウィキペディア日本語版
清原長谷[きよはら の はせ]
清原 長谷(きよはら の はせ、宝亀5年(774年) - 承和元年11月26日834年12月29日))は、平安時代前期の公卿は真人。中務卿三原王の孫で、越中守石浦王の次男。官位従四位上参議勲等は勲七等。
== 経歴 ==
延暦10年(791年)清原真人姓を賜与され臣籍降下。延暦22年(803年陸奥大掾に任ぜられる。
嵯峨朝に入ると、六位蔵人春宮少/大進を経て、弘仁7年(816年従五位下叙爵。のち、宮内少輔山城介遠江守を歴任する。
弘仁14年(823年)春宮進として仕えた大伴親王が即位淳和天皇)すると、同年従五位上・右衛門権佐に叙任、天長2年(825年正五位下次いで従四位下に昇叙されて近衛中将に任官するなど重用されて急速に昇進する。左衛門督・按察使を歴任し、天長8年(831年)には参議に任ぜられて公卿に列した。天長9年(832年)従四位上。
承和元年(834年)11月26日死去。享年61。最終官位は参議従四位上行左衛門督兼信濃守

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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