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清原長谷[きよはら の はせ] 清原 長谷(きよはら の はせ、宝亀5年(774年) - 承和元年11月26日(834年12月29日))は、平安時代前期の公卿。姓は真人。中務卿・三原王の孫で、越中守・石浦王の次男。官位は従四位上・参議。勲等は勲七等。 == 経歴 == 延暦10年(791年)清原真人姓を賜与され臣籍降下。延暦22年(803年)陸奥大掾に任ぜられる。 嵯峨朝に入ると、六位蔵人・春宮少/大進を経て、弘仁7年(816年)従五位下に叙爵。のち、宮内少輔・山城介・遠江守を歴任する。 弘仁14年(823年)春宮進として仕えた大伴親王が即位(淳和天皇)すると、同年従五位上・右衛門権佐に叙任、天長2年(825年)正五位下次いで従四位下に昇叙されて近衛中将に任官するなど重用されて急速に昇進する。左衛門督・按察使を歴任し、天長8年(831年)には参議に任ぜられて公卿に列した。天長9年(832年)従四位上。 承和元年(834年)11月26日死去。享年61。最終官位は参議従四位上行左衛門督兼信濃守。
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