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清水与七郎 : ウィキペディア日本語版
清水与七郎[しみず よしちろう]
清水 与七郎(しみず よしちろう、1885年明治18年)7月12日 - 1983年昭和58年)9月11日)は、日本実業家技術者日本テレビ放送網第2代社長。現在の富山県高岡市福岡町出身。清水 與七郎とも表記される。
== 来歴・人物 ==
金沢第一中学校第四高等学校二部工科を卒業。1908年(明治41年)、東京帝国大学電気工学科卒業。逓信省に入省し技師を務めた後、1919年大正8年)に東京電気(現在の東芝)に入社。1931年(昭和6年)に同社の副社長に就任する。1934年(昭和9年)、読売ジャイアンツの設立に参加する〔清水諭 「2.スポーツの「物語」・メディア・市場 スポーツする身体の市場 」〕。また、東京電気無線(現在の東芝テリー)の社長も務めた。
第2次世界大戦後に公職追放を受け、1950年(昭和25年)に解除される。その後、日本テレビ放送網の設立に参加し、1952年(昭和27年)に同社の専務取締役に就任する。1955年(昭和30年)11月28日には同社の社長に就任し、1967年(昭和42年)まで務める。1961年(昭和36年)に紫綬褒章を受章し、1962年(昭和37年)5月には電気学会名誉員となった。1983年(昭和58年)9月11日、98歳にて死去。
早稲田大学教授や川崎商工会議所会頭も務めていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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