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清水定吉 : ウィキペディア日本語版
清水定吉[しみず さだきち]
清水 定吉しみず さだきち1837年 - 1887年9月)は、「日本初の拳銃強盗犯」として知られる明治時代日本の元死刑囚である。また「日本初の劇映画」である『ピストル強盗清水定吉』(1899年)、および『清水定吉』(1930年)として映画化された映画作品のタイトル、および登場人物名である。
== 来歴・人物 ==
1837年天保8年)8月13日、江戸・浅草清島町(現在の台東区東上野6丁目)に生まれる〔『探偵実話 清水定吉』(無名氏、金松堂、1893年)p.158にある戸籍写しの記述による。1837年の日本は「寛政暦」を採用しており、現在の「8月13日」とは異なる。没年齢は計算上。〕。
職業は按摩師であった。当時の「按摩師」のスタイルは清水の犯罪にとって、格好のカモフラージュとなった。東京市本所区相生町(現在の東京都墨田区両国からまでの地域)に住んでいた〔芥川龍之介のエッセイ『本所両国』の記述を参照。「青空文庫」サイト内の「芥川龍之介「本所両国」 」に原文がある。〕。
1882年(明治15年)から、覆面をして拳銃を使用、東京市(現在の東京都)で80件以上の強盗を行い5人を殺害した。拳銃を使用した強盗事件は日本犯罪史上初めてのことであり、当時の首都は震撼した。
日本橋区馬喰町(現在の中央区日本橋馬喰町)の商家に押し入った直後、1886年(明治19年)12月3日未明に同区浜町(現在の中央区日本橋浜町)で逮捕、その際に、清水に不審尋問をした久松警察署小川佗吉郎巡査〔「小川橋」跡の碑文(1974年建立)の記述を参照。「viva! edo」サイト内の「小川橋の由来 」に碑文の写しがある。〕が清水の発砲で重傷を負い、その後回復し2階級特進で警部補に昇進するが、4か月後に傷が悪化し翌1887年(明治20年)4月26日、24歳で死亡した〔。同年9月、清水は死刑に処された。50歳没〔。
殉職した小川警部補を悼み、当時の浜町川に架かる橋は「小川橋」と名づけられ、川が埋められ橋が撤去された現在、1974年(昭和49年)4月26日、小川警部補の命日に建てられた石碑が建っている。〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「清水定吉」の詳細全文を読む



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