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清水敦之助 : ウィキペディア日本語版
徳川敦之助[とくがわ あつのすけ]

徳川 敦之助(とくがわ あつのすけ、寛政8年3月19日1796年4月26日) - 寛政11年5月7日1799年6月10日))は、御三卿清水徳川家第2代当主。11代将軍徳川家斉の五男。母は家斉の御台所(正室)の近衛寔子。官位はなし。松平敦之助とも。
江戸城大奥で誕生した。敦之助の誕生に、家斉・寔子夫妻のみならず、祖父の徳川(一橋)治済、外祖父の島津重豪薩摩藩前藩主)らの喜びも絶大であったという。御台所が男子を出生するのは2代将軍徳川秀忠の正室の達子以来であった。ただし、その3年前に側室が産んだ敏次郎(後の家慶)が将軍家世子と定められていたため、初代当主重好が嗣子を残さずに死亡して空跡となっていた清水徳川家を、敦之助を当主として寛政10年(1798年)に再興させた。しかしその翌年、敦之助はわずか4歳で病没した。院号は体門院。嗣子があるはずもなく、清水徳川家は再び当主を欠き、文化2年(1805年)になって異母弟の斉順が継いだ。
== 出典 ==

*『徳川諸家系譜3』




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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