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清水英次 : ウィキペディア日本語版
清水英次[しみず えいじ]
清水 英次(しみず えいじ、1947年12月14日 - 2005年7月5日)は、日本中央競馬会に所属した騎手京都府出身。
叔父は元調教師清水茂次
== 経歴 ==
1965年に馬事公苑短期騎手課程第4期生となり、1967年に騎手としてデビュー。同年にデビューした者には岡部幸雄柴田政人伊藤正徳らがいる(ただし、清水は短期騎手課程を修了後、騎手試験に合格した騎手であり、長期騎手課程を修了してこの年にデビューした、いわゆる「馬事公苑花の15期生」とは、騎手になるまでの過程が異なる)。
デビュー翌年の1968年は、病気のためまったく騎乗することができないなど苦労したが、牝馬として史上初の年度代表馬を受賞するトウメイと出会ってから成績が安定し、20 - 30勝の勝ち星を挙げる中堅上位騎手となる。1978年にはテンメイに騎乗して史上初の天皇賞母仔制覇を成し遂げた。
長らく中堅騎手として活躍し、とくに牝馬に騎乗しての好成績から、関東馬であったリーゼングロスに依頼されて騎乗するなど、その技術は高く評価されていた。このほかメジロモンスニーなどでの活躍が知られている。
晩年は、騎乗回数こそ減少したものの、まだデビュー間もない厩舎期待の若駒に騎乗して、レースを教えるなど、自らの熟練の技術を生かした騎乗を行い、「英次の脚決めが終わった」という言葉があった。
しかしながら、1994年4月23日の阪神競馬場での競走中に落馬し、頸部損傷の重傷を負う。全治は3か月という診断であったが、予後が思わしくなく、結局復帰することはできずに1996年6月13日をもって騎手を引退した。以後は長らくリハビリ生活を続けていたが、怪我の影響によって、2005年7月5日に57歳で死去した。
牝馬との相性が良く、トウメイやリーゼングロスのほか、全競馬場の重賞競走に出走した事でも知られる、ヤマノシラギクでの活躍が知られている。しかし優駿1988年4月号の記事によると「世間ではトウメイの清水と言われているが、俺はメジロモンスニーの清水と言われて欲しかった」と語っている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「清水英次」の詳細全文を読む



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