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唐菓子[からくだもの]
唐菓子・唐菓物(からくだもの)は、唐朝から伝わったという菓子。米粉や小麦粉などの粉類に甘葛(あまずら)の汁など甘味料を加えてこね、果物の形を造った後、最後に油で揚げた製菓をさす〔デジタル大辞泉 小学館(からくだもの) 2013年9月15日 閲覧〕。「からがし」や「とうがし」と読むこともある。また「からくだもの」の読みのまま「唐果物」とも表記する。 狭義の仮説と言える唐菓子は、下記の「八種唐菓子」に限定されている。これは特別の行事・神仏事用の加工食品と言える。というのは、日常的に作られていなかったようで、製法が詳細に記述された文献があるからだ。八種唐菓子以外も含めた広義の仮説と言える唐菓子に分類された加工食品には製法の記述に省略が見られるものがある。八種唐菓子に製法、または形状が似ているものを含めた広義の仮説と言える唐菓子は古墳時代末期の供え物とみられる土製の形状の似ている出土品や、奈良時代、平安時代の文献に名称の記載が見られる加熱加工食品も含めているようだ。唐朝の伝来かどうか疑問のある加熱加工食品にも分類の名称として適用されている。以下の記述は広義の仮説と言える唐菓子について書かれている。 == 歴史 == 古墳時代末期の古墳から高坏(たかつき)に盛られた唐菓子を模った(かたどった)ような土製品が出土している。大陸から伝えられた唐菓子は小麦粉を用い胡麻油で揚げるなどの技法が用いられ、当時、果実・木の実とその加工品をくだもの<果子・菓子>と記述していたので、こういった嗜好品も菓子と記述する由来になった。平安京の市でも売られ、貴族に愛好されたばかりでなく、神餞として、また仏前にも供えられた。平安時代には、当時の百科事典的な漢和辞書である『倭名類聚抄』に一部のものが特に八種唐菓子と記載された。しかし鎌倉時代末期には、その多くが既に忘れ去られていた。一方、煎餅など一部は形を変えて現在まで残っている。 現存しているものとしては、神社で製造されるぶとが代表的である。また、京都には「清浄歓喜団」(亀屋清永)と呼ばれる団喜が(江戸時代中期以降に現在のように小豆餡を包むようになったので、当初の団喜とは異なるが)現存しており、寺院に奉納される他、和菓子として市販もされている。なお、饅頭、羊羹、ういろう、落雁、月餅、一口香、求肥なども中国から渡来してきたものだが、これらは鎌倉時代以降に渡来したものであり、唐菓子には含められていない。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「唐菓子」の詳細全文を読む
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