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清田鎮忠
清田 鎮忠(きよた しげただ、? - 天正8年(1580年))は戦国時代の武将〔『戦国人名事典』(阿部猛、西村圭子編)567頁〕。通称は新五右衛門尉鎮忠〔。法名は雲霧〔。妻は大友宗麟の娘・ジュスタ〔。 == 人物 == 清田氏は大友氏流戸次氏の支族〔。鎮忠は大友宗麟に仕え、天正6年(1578年)には土持親成が籠城する松尾城攻めに参加し、戦功を挙げた〔。同年の大友宗麟の日向侵攻の際は野津院衆を率いて活躍したという〔。天正8年(1580年)、大友宗家を裏切った田原親貫を国東郡実際寺にて破ったが、帰途で負傷しそのまま死去した〔。鎮忠はキリシタンだったと伝えられる〔。 妻のジュスタは大友宗麟の娘であり、当初は土佐国西部の戦国大名・一条兼定の正室であった。その後、兼定と離別して鎮忠に嫁いだとされる。ジュスタは天正10年(1582年)に受洗し、鎮忠と同様にキリシタンとなった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清田鎮忠」の詳細全文を読む
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