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清閑寺共房[せいかんじ ともふさ]
清閑寺 共房(せいかんじ ともふさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期の公卿。再興した江戸時代の清閑寺家の祖。後陽成天皇(107代)から後西天皇(111代)までの五帝の長きにわたって朝廷に仕えたため、名家出身としては異例の従一位内大臣まで昇った。
== 経歴 == 清閑寺家先代の家幸は共房が生まれた日より一世紀近く前の1511年(永正8年)に薨去しており、清閑寺家はこの家幸を最後として長く絶えていた。共房が中御門家から養子に入ることで清閑寺家の家名が再興された。慶長7年(1602年)に叙爵。以降、蔵人・右少弁・左少弁・左中弁を経て、慶長18年(1613年)に蔵人頭・右大弁となった。慶長19年(1614年)に参議となり、公卿に列する。同年左大弁に任じられる。元和5年(1619年)に権中納言に任じられた。寛永9年(1632年)に権大納言に就任し、寛永14年(1637年)まで務めた。承応元年(1652年)から寛文元年(1661年)にかけて武家伝奏を務めた。承応3年(1654年)には従一位を授与される。同年に名家としては異例の内大臣に任命されている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「清閑寺共房」の詳細全文を読む
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