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渋井敬一[しぶい けいいち]
渋井 敬一(しぶい けいいち、1959年8月29日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 == 来歴・人物 == 桐蔭学園高校から1977年ドラフト2位でヤクルト入団。内外野をこなすユーティリティプレイヤーとして活躍。守備のスペシャリストであり、特に内野手としては球界トップレベルの守備力を誇った。 関根潤三監督就任1年目の1987年にはその高い守備力を買われ、打率.198という低打率ながら二塁手としてレギュラー定着、遊撃手の池山隆寛との鉄壁の二遊間を築いた。またバントの名手でもあり、同年にセ・リーグ最多の35犠打を記録している。 1988年以降は土橋勝征、笘篠賢治ら若手の台頭もあって守備固めとしての出場が増えていったものの、ガッツ溢れるファインプレーでチームの危機を何度も救った。 1992年現役引退。1994年までヤクルトのコーチを務めた。退団後は父親が経営する建築会社を継ぎ〔日本リトルシニア南関東支部大会(硬式野球)で初優勝を果たした「横浜緑リトルシニア」の監督を務める渋井敬一さん タウンニュースWeb板 2014年8月24日閲覧〕、2012年からは横浜緑リトルシニアの監督も務める。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渋井敬一」の詳細全文を読む
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