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渋江厚光[しぶえ ひろみつ] 渋江 厚光(しぶえ ひろみつ、文化14年11月20日(1817年12月27日) - 明治22年(1889年)2月16日)は、幕末から明治にかけての出羽国久保田藩の家老。渋江政光の子孫である渋江和光(まさみつ、佐竹義和より偏諱を授かる)の嫡男。別名、貞治(さだはる)。通称は内膳。禄高3000石。 渋江氏代々の慣習により、藩主の佐竹義厚(義和の子)より偏諱を授かって厚光と名乗る。天保8年(1837年)家督を父より相続する。文久元年(1861年)に家老となり、元治元年に職を辞したが、藩論を尊王に導いて戊辰戦争で庄内藩などに出陣した。明治元年(1868年)に家老に復し、盛岡藩主父子の東京護送などの任にあたった。明治22年(1889年)、73歳で没した。墓所は秋田市の全良寺。
== 参考文献 ==
*日本人物大辞典(講談社) *渋江和光日記(秋田県公文書館蔵)
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渋江厚光」の詳細全文を読む
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