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渋谷区立臨川小学校[しぶやくりつ りんせん しょうがっこう]
渋谷区立臨川小学校(しぶやくりつ りんせん しょうがっこう)は、東京都渋谷区広尾にある渋谷区地域において第3番目に歴史がある公立小学校である。広尾一丁目の住宅地に所在する。 == 概要 == 学校は北西の渋谷方面に國學院大学、北の青山方向に日本赤十字社医療センター、日本赤十字看護大学広尾キャンパス、聖心女子大学、東京女学館など、東方向に有栖川宮記念公園、フランス大使館、ドイツ大使館]]等の大使館が多く存在し、都内でありながら緑の多い地域である。主要な交通路は東京メトロ広尾駅、及び山手線恵比寿駅があり、恵比寿駅から徒歩の場合約8分ほどの場所に位置する。恵まれた環境と交通の便の良い地域にある。敷地と校舎は周囲公道に面し南側に明治通りがある。 臨川小学校は、渋谷小学校、千駄ヶ谷小学校に次ぐ第3番目の創立になる古い学校である。本校の設立は渋谷小学校創立の刺激を受けたと考えられる点が多分にある。土地の古老柴田久左衛門の語る所によれば「上に渋谷小学校ができたのだから、下渋谷もつくろう」という話が有志の間に持ち上がって設立が計画され、設置の場所、設立に対する費用についての検討が進められた。地元有志の発起によって進められた建設計画は着々とその実を結び、設立費用に関する寄付金は一口当り30円から最低1円に至るまで65口におよび、その内には数名をもって一口の寄附とするものなどを含んでいたのであるが、総額は実に540円が寄せられたのであって、この当時としては村の財政比しても相当に大きな比重となることから考えれば、この地域の人々がたとえ有力者の勧奨があったにもせよ、学校建設に熱意を持っていたと考えることは至当であろう。 東京府に提出された「設立願書」によってその詳細を見るならば、学校位置は第二中学区内第二九番小学区第七区一小区下渋谷村一七一番番地とあり、これは現在とほほ同じであって、創立の時から場所が変わらないのは本校のみである。敷地坪数は下渋谷村祥雲寺持畑1200坪の内の305坪であって、その内の155坪は学校敷地として下附、150坪を借地とし、その敷地に45.5坪草葺平屋建ての校舎を建設したのである。教室は4室で12畳が2教室、24畳が1教室でいずれも板敷きであり、四方は障子であった。教師控室、世話掛り子使詰所の両室は共に6畳でやはり障子張りであるなどは、寺子屋の大きいものと考えてもよいであろう。このような姿は明治初期における小学校に共通のものであったろう〔『渋谷区史・中巻』学制時代の公立学校、東京都渋谷区、昭和41年2月28日。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渋谷区立臨川小学校」の詳細全文を読む
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