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渡辺 信綱(わたなべ のぶつな、享保12年(1727年)- 明和9年1月22日(1772年2月25日))は、和泉伯太藩の第3代藩主。伯太藩渡辺家5代。 第2代藩主・渡辺登綱の次男。母は松平定陳の娘。正室は松平近明の娘、継室は久留島光通の娘。子に渡辺伊綱(次男)、渡辺豪綱(三男)、渡辺俊綱(四男)、松平信男(五男)、娘(松平直義正室)、娘(中根正寧正室)、娘(松平正愛正室)、娘(渡辺房綱正室)。官位は従五位下。豊前守。幼名は源三郎。 長兄の充綱が早世したため、世子となる。明和4年(1767年)9月10日、父の隠居により跡を継いだ。 明和9年(1772年)正月22日、46歳で死去し、跡を次男の伊綱が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渡辺信綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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