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渡辺剛八[わたなべ ごうはち] 渡辺 剛八(わたなべ ごうはち、生没年不詳)は、幕末の志士、海援隊隊士。名は重。柴田八兵衛、大山壮太郎とも名乗った。 越後国の出身。激論家で知られたという。慶応初頭までに海援隊の前身である亀山社中に名を連ねる。慶応2年(1866年)大洲藩からの要請でいろは丸の機関方として派遣される。しかし翌年、紀州藩の明光丸との衝突事故が起こり、事態の収拾に奔走し、事後の紀州藩との交渉にも出向いている。以後は隊長の坂本龍馬が国事に奔走する中で、菅野覚兵衛とともに海援隊の留守を務めた。しかし同年、龍馬が暗殺されると激昂し、単身上洛して敵討ちをしようと息巻くが、佐々木高行に制されたという。海援隊の解散後は振遠隊の幹部として、戊辰戦争では奥羽に転戦している。 なお、菅野と龍馬の妻お龍の妹・起美の結婚では仲人を務めている。 == 参考文献 ==
* 新人物往来社『坂本龍馬大事典』 * 松岡司『定本坂本龍馬伝』
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渡辺剛八」の詳細全文を読む
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