翻訳と辞書
Words near each other
・ 渡辺則綱 (紀州藩士)
・ 渡辺剛
・ 渡辺剛 (キーボード奏者)
・ 渡辺剛 (ヴァイオリニスト)
・ 渡辺剛二
・ 渡辺剛八
・ 渡辺剛夫
・ 渡辺剛次郎
・ 渡辺剣
・ 渡辺力
渡辺助治郎
・ 渡辺勇人
・ 渡辺勇次郎
・ 渡辺勇気
・ 渡辺勉
・ 渡辺勉 (写真)
・ 渡辺勘兵衛
・ 渡辺勘兵衛 (石田家臣)
・ 渡辺勘郎
・ 渡辺勝


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

渡辺助治郎 : ウィキペディア日本語版
渡辺香墨[わたなべ こうぼく]
渡辺 香墨(わたなべ こうぼく、1866年慶應2年5月27日) - 1912年大正元年)12月28日)は、日本の法律家俳人正岡子規門人台湾俳壇の基礎を作った一人。本名は助治郎(すけじろう)。
== 略歴・人物 ==
1866年(慶應2年5月27日)、常陸国稲敷郡君原村に生まれる。1886年明治19年)に東京法学校(現・法政大学)卒業し、裁判官となる。1894年(明治27年)、正岡子規の門人となる。
1898年(明治31年)に新潟県裁判所に赴任し、新潟県における新派俳人の草分けとして活動、子規から『著き進歩を現したる者』として『東京に五城あり、越後に香墨あり、大阪に青々あり』とし、『香墨は漸を追ふて進む者基礎既に堅し』と評されている。1900年(明治33年)に台湾総督府法院検察官として台湾に赴任、俳誌『相思樹』を創刊し、台湾俳句界の指導者的立場として活動する。また、在台中、毎年、子規にバナナを送っており、子規から『相別れてバナナ熟する事三度』という句を添えて礼状を送られている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「渡辺香墨」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.