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渡邊千冬[わたなべちふゆ]
渡邊 千冬〔学術誌、研究書、辞典類などにおける歴史人物としての表記は「渡辺千冬」、『職員録』など存命時代に活字印刷において正字体に統一された表記が「渡邊千冬」、本人も「渡邊千冬」と署名している。〕(わたなべ ちふゆ、1876年(明治9年)5月1日 - 1940年(昭和15年)4月18日)は、明治期の政治家、実業家。 == 経歴 == 筑摩県筑摩郡松本(現・長野県松本市)生まれ。子爵渡辺国武の養子で、実父は帝室林野局長官や宮内大臣などを歴任した伯爵渡辺千秋(國武の兄)。幼少時は慶應義塾などで学び、帝国大学法科大学(のちの東京帝国大学法学部)卒業。日本興業銀行を経て、日本製鋼所に入り取締役。1908年(明治41年)長野から衆議院議員に当選。1920年(大正9年)、襲爵後、貴族院議員となり研究会に所属、浜口内閣、第2次若槻内閣にて司法大臣を務める。大阪毎日新聞社取締役、1939年(昭和14年)枢密顧問官となり、他に関東國粹会総裁となる。 子に渡辺武、渡辺慧がいる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渡邊千冬」の詳細全文を読む
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