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渡辺基綱[わたなべ もとつな] 渡辺 基綱(わたなべ もとつな、寛文5年(1665年) - 享保13年7月19日(1728年8月24日))は、武蔵野本藩第3代藩主。和泉大庭寺藩主、のち和泉伯太藩初代藩主。伯太藩渡辺家3代。 尾張藩重臣渡辺藤蔵長綱(尾張徳川家家老・渡辺重綱の七男)の子。母は石河正光の娘。正室は渡辺方綱の娘。子に渡辺登綱(長男)、山口弘長(三男)、娘(戸田光言正室)、娘(志水忠梁室のち酒井忠雄継々室)、娘(長谷川勝清正室)、娘(高木允貞室)など。官位は従五位下、備中守。 延宝8年(1680年)従兄にあたる方綱の婿養子となり家督を相続し、元禄11年(1698年)に大庭寺藩主となる。享保12年(1727年)4月18日、伯太に陣屋を移したため、伯太藩の初代藩主となった。玉造口定番、大坂定番などを努めたが、大坂定番在任中の享保13年(1728年)7月19日に64歳で死去し、跡を長男の登綱が継いだ。 性格は温厚で、領地に善政を布いていたことから、「善将」と称された名君である。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渡辺基綱」の詳細全文を読む
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