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渡辺 春綱(わたなべ はるつな、安永7年9月17日(1778年11月5日) - 文化7年3月26日(1810年4月29日))は、和泉伯太藩の第6代藩主。伯太藩渡辺家8代。第5代藩主・渡辺豪綱の長男。正室は青木一貫の娘(青木一新の娘で一貫の養女との説もある)。官位は従五位下。大学頭。通称は仲之進。 天明8年(1788年)1月13日、世子となる。寛政5年(1793年)5月16日、父豪綱の死去により、家督を相続した。同年9月15日、将軍徳川家斉に拝謁する。同年12月16日、従五位下大学頭に叙任する。文化7年(1810年)3月26日、33歳で死去し、跡を弟の則綱が継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渡辺春綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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