翻訳と辞書 |
渡辺正夫[わたなべ まさお]
渡辺 正夫(わたなべ まさお、1888年10月10日 - 1950年10月11日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 ==経歴== 岸和田藩士、小学校長・渡辺源太の二男として生まれる。大阪陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1909年5月、陸軍士官学校(21期)を卒業、同年12月、砲兵少尉に任官し、野戦砲兵第4連隊付となる。陸軍砲工学校高等科を卒業し、さらに1919年11月、陸軍大学校(31期)を卒業。 参謀本部付勤務、参謀本部員、陸軍野戦砲兵学校教官、広島湾要塞参謀、豊予要塞参謀、近衛野砲兵連隊大隊長、野戦砲兵学校教官、野砲第10連隊長、第14師団参謀長などを経て、1937年8月、陸軍少将に進級。 中部防衛参謀長、陸軍造兵廠総務部長、陸軍兵器本廠長などを歴任し、1939年10月、陸軍中将となった。陸軍航空技術研究所付を経て、1940年8月、新編された第56師団長に親補され、ビルマの戦いに従軍し侵攻作戦とビルマルート(援蒋ルート)遮断に成功した。1942年12月、陸軍科学学校長に就任。太平洋戦争末期の1944年3月、沖縄の第32軍初代司令官として沖縄の航空基地設営を行った(牛島満の前任者)。同年8月、心労のため、また過度に沖縄県民の不安を煽ったことで、参謀本部付となり、10月に予備役編入となったが、1945年4月に召集され、大阪師管区司令官に就任し、同年12月に召集解除となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渡辺正夫」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|