|
渡邉 美樹(わたなべ みき、男性、1959年10月5日 - )は、日本の政治家、実業家。自由民主党所属の参議院議員(1期)、ワタミ株式会社創業者〔。学校法人郁文館夢学園理事長〔、岸和田盈進会病院理事長〔、一般社団法人ソーシャルビジネス・ドリームパートナーズ代表理事。 ワタミ株式会社の創業者で、過去に同社代表取締役の他、教育再生会議(安倍内閣)委員、神奈川県教育委員会委員を2006年(平成18年)10月14日〔『官報』第4459号7ページ「神奈川県 教育委員会委員任命」、2006年(平成18年)11月8日〕から2009年(平成21年)10月30日まで〔『官報』第5246号9ページ「神奈川県 教育委員会委員任命」、2010年(平成22年)2月4日〕務めた。 == 経歴 == 神奈川県横浜市出身〔。少年時代は野球に熱中していた。10歳で母と死別。父が営んでいた広告事業の会社が清算されたのを目にし、将来は経営者になることを決意する。また、近所に住んでいた大学生が声をかけてくれたことをきっかけにキリスト教系宗教の信者となり伝道活動に従事していたが、中学生時代に「信者以外は救われない」という教義に疑問を持ち、卒業を機に決別した。しかし現在も著書において聖書を引用し、「いまでも時折、懐かしく頁をめくるその聖書の教えは、後に会社を創業する際の理念の元になっています」と語るなど、思想の土台となっている。 神奈川県立希望ヶ丘高等学校に進学。高校時代は図書館にこもって本ばかり読んでいたが、進路指導の教員から、経営者を目指すのなら大学で勉強して様々な人生経験を積んでからでも遅くはないとアドバイスを受け、明治大学商学部に進学。大学在学中、大規模なイベントを多数企画、実施している。大学卒業間際の1982年2月に北半球を放浪した。 大学卒業後は経理会社「ミロク経理」(ミロク情報サービスの親会社。1986年に倒産)で半年勤務した後、佐川急便の東京支社管内(当時)でセールスドライバーとして1年間勤務。起業のための資金300万円を1年間で稼いだ。1984年、有限会社渡美商事を設立。経営不振のつぼ八の店舗を買い取る形で、フランチャイズ店オーナーとなる。1987年に社名をワタミフードサービスと改称し、独立。1996年に株式店頭登録、1998年に株式上場を果たした。2002年には、ワタミは全300店舗を超える規模となった。 2002年以降、外食以外の産業にも進出し、2002年に農業、2005年に介護、2008年に高齢者向けの弁当宅配事業にそれぞれ参入している。「地球上で一番たくさんのありがとうを集めるグループになろう」という理念のもと、人が差別化となる労働集約型事業を展開し、独自の6次産業モデルを構築した。なお、佐川急便時代に過酷な仕事をしている際、祖母に家事などで助けられたことが介護事業に参入する動機に繋がったという。 2009年、ワタミ社長を退任し、同社会長に就任した。2011年2月15日には、ワタミの代表取締役会長を辞任し、非常勤の取締役最高顧問となった〔代表取締役の辞任に関するお知らせ(ワタミ) 東京証券取引所開示書類〕(後に、非常勤取締役会長になる〔陸前高田市の参与就任 ワタミ株式会社・プレスリリース2011年5月26日〕)。 2011年2月、同年4月の東京都知事選挙に無所属で出馬する意向を表明。出馬の動機について、ワタミの運営により培ってきた経営能力を、企業を超えた枠組みで生かしたい考えを明らかにした。高齢者が安心して年を取れる社会の実現や、高校生の10人に1人を1年間留学させる教育改革の構想を掲げ〔ワタミの渡辺美樹会長、都知事選に立候補を明言 〕、都議会民主党の支援を受けたが生活者ネットからの支援は積極的に受けられなかった。結果、出馬するも〔 2011年(平成23年)3月25日東京都知事選挙選挙長会告示第2号「東京都知事選挙における候補者の届出」〕、4選をめざす石原慎太郎知事、前宮崎県知事の東国原英夫の後塵を拝し、3位で落選した〔2011年(平成23年)4月12日東京都選挙管理委員会告示第58号「東京都知事選挙における当選人」〕。 同年6月、岩手県陸前高田市の参与に就任した。 2011年12月28日、同月20日に大阪維新の会の松井一郎知事および橋下徹市長の要請を受け、大阪府および大阪市の特別顧問に就任することが松井知事により発表された。 2013年1月31日、ムハマド・ユヌス氏の提唱する「ユヌス・ソーシャル・ビジネス」を支援する一般社団法人ソーシャルビジネス・ドリームパートナーズを設立〔 〕。 2013年5月末、第23回参議院議員通常選挙の比例区の自由民主党公認候補であることが報じられる。6月27日、立候補に際しワタミの会長職を含む役職をすべて辞任〔ワタミの渡辺氏、会長辞任 朝日新聞 2013年6月28日〕。出馬の動機について、安倍晋三政権は海外からも大きな期待が寄せられており、アベノミクスの大胆な金融緩和、機動的な財政出動は正しい手法であり、効果が表れている。ワタミの運営により培ってきた経営能力を、農業の強化や震災復興、経済の強化、教育や福祉の分野で力を尽くしたいと考えを明らかにした〔なぜ自民党なのですか? わたなべ美樹オフィシャルサイト 2013年6月3日〕。104,176票を獲得し、比例区の自民党の当選者18人中、16番目で当選した〔2013年(平成25年)7月26日中央選挙管理会告示第25号「平成二十五年七月二十一日執行の参議院比例代表選出議員の選挙における参議院名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件」〕。なお、田沼正彦により選挙公示前の選挙運動をTwitterにて暴露されている。 2014年7月18日、岩手県倫理法人会にて「渡邉美樹が語る就活のススメ~アベノミクス移行、経営者から求められる人物像とは~」講演〔お知らせ - 渡邉美樹公式サイト 〕〔渡邉美樹講演会&座談会のご案内 - 一般社団法人倫理研究所 岩手県倫理法人会 〕〔渡邉美樹が語る就活のススメ~アベノミクス移行、経営者から求められる人物像とは~ - 2014年07月18日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渡邉美樹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|