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渡辺実 (映画監督)[わたなべみのる]
渡辺 実(渡邊 實、わたなべ みのる、1919年10月5日 - )は、日本の映画監督である。 == 人物・来歴 == 1919年(大正8年)10月5日、京都府京都市右京区に生まれる。父は映画館を経営していた〔渡辺実 、''raizofan.net'', 2009年10月14日閲覧。〕。 1935年(昭和10年)、旧制・立命館大学予科を中途退学した〔。1940年(昭和15年)、日活多摩川撮影所(現在の角川大映撮影所)に助監督として入社した〔。第二次世界大戦が始まり、1942年(昭和17年)に日活の製作部門は新興キネマ、大都映画と合併して大日本映画製作(のちの大映)勤務となる。 終戦後、大映京都撮影所で、チーフ助監督として勤務、伊藤大輔らの需要に応える。1956年(昭和31年)に監督昇進〔、翌年公開の勝新太郎主演作品『信号は赤だ』で監督としてデビューした〔#外部リンク欄、「渡辺実」の項リンク先、日本映画データベース、2009年10月14日閲覧。二重リンクを省く。〕。 3年間で6本を監督するが、1959年(昭和34年)、再度伊藤大輔の助監督を務めた〔。以降、監督に復帰することなく、1965年(昭和40年)には現場を離れ、写真課長となる〔。1970年(昭和45年)には総務部厚生係長となる〔が、1971年(昭和46年)12月に大映は倒産した。新会社大映映画が設立され、新会社に引き続き勤務、総務係長を務めた〔。1975年(昭和50年)には同社を退社した〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渡辺実 (映画監督)」の詳細全文を読む
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