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渡部抱朴子[わたなべ ほうぼくし] 渡部抱朴子(わたなべ ほうぼくし、1928年(昭和3年)2月16日 - 2011年(平成23年)5月5日)は日本の俳人、書家。本名、渡部盛幹(わたなべもりもと)。俳人として俳誌「渋柿」主宰、書家として書道団体書神会顧問・審査員(雅号・渡部篁堂)を務める。 == 略歴 == 1928年(昭和3年)愛媛県で生まれる。1947年(昭和22年)愛媛師範学校卒。愛媛県の小学校、中学校で教職に就く。1974年(昭和49年)県教育委員会国語科指導主事などを経て、1988年(昭和63年)東予市(現西条市)立河北中学校長を最後に退職。教職のかたわら、俳句、書道の研鑽を積み、俳人としては1996年(平成8年)より俳誌「渋柿」代表同人・課題句選者、2000年(平成12年)より2010年(平成22年)まで同誌第5代主宰を務める。2004年(平成16年)句集「天籟」、「地籟」を出版。この間、俳人協会評議員、子規顕彰全国短歌大会選者などを歴任する。2011年(平成23年)没、同年従六位瑞宝双光章受章。 なお、「渋柿」は1915年松根東洋城が創始、日本でも最も長く続く俳誌のひとつで、抱朴子の父渡部杜羊子は東洋城の高弟のひとり。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「渡部抱朴子」の詳細全文を読む
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