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温世珍[おん せいちん]
温 世珍(おん せいちん)は中華民国の政治家・外交官。北京政府時代には、対外交渉の職に主につく。後に中華民国臨時政府、南京国民政府(汪兆銘政権)で要職をつとめた。字は佩珊。 == 事跡 ==
=== 清末民初の活動 === 北洋水師学堂を卒業後、イギリスに留学した。帰国後、海軍に所属し、さらに李鴻章の幕僚に転じる。1906年(光緒32年)に両広総督衙門洋務委員、翌年には同洋務文案に任命された。〔徐主編(2007)、2072頁。〕〔東亜問題調査会編(1941)、26頁。〕 1913年(民国2年)4月、外交部浙江省特派交渉員に任ぜられ、1916年(民国5年)、江西省都督李純の高等外交顧問となる。翌年8月に李純が江蘇都督に移ると、温世珍もこれに随従した。1920年(民国9年)10月、金陵関監督兼江蘇省交渉員となり、翌年にはワシントン会議に中国代表名誉諮議として参加している。〔〔 1923年(民国12年)より、それまでの対外交渉の功績により、特命全権大使として遇される。1924年(民国13年)8月、直隷派の後ろ盾により、江蘇省交渉員兼江海関監督となった。まもなく第2次奉直戦争により直隷派は敗北したが、温は奉天派の江蘇督弁楊宇霆の知遇も得ている。後に国民革命軍が上海を占領すると、温は日本に亡命し、中国政界から引退状態となる。〔〔
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「温世珍」の詳細全文を読む
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