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温成皇后[おんせいこうごう] 温成皇后(おんせいこうごう、1024年 - 1054年2月24日)は、北宋の第4代皇帝仁宗の寵妃(追贈皇后)。姓は張氏。 == 経歴 == 河南永安の人。進士張堯封と妻の曹氏の間の娘。容貌が美しく、魅力的な性格を持っていた。 8歳で父は死去し、伯父の張堯佐には扶養を拒否された。母の曹氏は張氏を売り、蹇氏と再婚した。張氏は斉国大長公主の許で歌舞女となった。その後、宮中に入って仁宗に見初められ、もっとも寵愛を受け、清河郡君に封ぜられた。さらに才人、次いで修媛に上った。女子を3人産んだが、みな夭折した。 慶暦8年(1048年)、宮中の衛卒が乱を起こしたとき、曹皇后の働きで鎮圧された。しかし仁宗は曹皇后に対して疑いを抱き、その功は張氏に帰して、張氏は貴妃に進んだ〔徽宗の時代まで、張氏は北宋で唯一の貴妃であった。他の貴妃たちは本人死後の追贈、あるいは次代の皇帝による尊封であった。〕。それから、張氏はさらに寵愛を独占するようになった。皇后と同じ扱いをうけ、一族は官爵を授けられた。 皇祐6年正月8日(1054年2月24日)、張氏は死去した。仁宗は深く悲しんだ。張貴妃は皇后を追贈されて「温成」と諡され、園陵を建立され、宗廟に祀られた。張氏の3世の先祖も温成皇后陵に附葬された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「温成皇后」の詳細全文を読む
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