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港区立青南小学校(みなとくりつ せいなんしょうがっこう)は、東京都港区南青山四丁目にある公立小学校である。 == 概要 == 明治時代以降、青山は将官や官僚などが住居とする地域として大きく変容するのに伴い、隣接する青山小の児童数も急激に膨張、そのため1906年(明治39年)に青山小の一部の児童を引き取る形で創立された。そうした地域柄、進学熱もこの頃より高く、文京区の誠之小などと並び、府立一中や四中など上級学校への進学率が高い学校として知られていた。この頃より越境入学生も後を絶たず、1921年(大正10年)着任の下川兵次郎校長の時代以降の戦前において、上級学校を目指して進度別授業を展開していた時期もあった〔『歓暦 青南小学校第33回卒業生還暦記念誌』(渡辺汀編集, 1988年10月発行) p28〕。 1931年(昭和6年)、中村草田男が母校の青南小学校を訪ねた折に詠んだ「降る雪や明治は遠くなりにけり」の句碑が、現在、学校正面玄関前に建っている。 戦時中の逸話として、山本五十六が戦死した際、校庭にて海ゆかばの大合唱と共に〔朝日新聞 1943年5月23日 夕刊2面〕、その子女らが在学中、またかつて通っていた関係で、他校が著名な将官が亡くなると改称したのに倣い、一時「山本国民学校」と改称する案がでて、真剣に討議されたこともあった〔『歓暦 青南小学校第33回卒業生還暦記念誌』(渡辺汀編集, 1988年10月発行) p126〕。 戦後もこの小学校から青山中学 - 日比谷高校のコースを辿って進学することが、いわゆる番町小 - 麹町中学コースに対応した東大へ進むエリートのモデルコースとされたこともあった。かように「番町・白金・青南」などと謳われたこともあり、港区内では現在でも白金小や赤羽小などと同様に学区外からの越境通学者が多く、また著名人の子弟も見られる。 2006年(平成18年)で創立百周年を迎え、創立記念日の11月18日に百周年記念式典が行われたほか、それに先発つ同年9月には一般人も参加できる催しが行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「港区立青南小学校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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