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源具氏[みなもと の ともうじ]
源 具氏(みなもと の ともうじ)は鎌倉時代中期の公卿。従二位参議左中将。中院、土御門、堀河と号す。父は従三位源通氏、母は法印珍喜の娘。子の源具顕(?—1287年)と北畠親子は伏見天皇側近の京極派歌人として知られている。具顕は『弘安源氏論議』を弘安3年(1280年)に著したことでも知られる。 == 経歴 == 以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。 寛元4年(1246年)10月15日、叙爵。11月14日、侍従に任ぜられる。宝治元年(1247年)1月5日、従五位上に昇叙。11月8日、左少将に任ぜられる。宝治2年(1248年)1月6日、正五位下に昇叙され23日には三河守を兼ねる。建長元年(1249年)1月24日、従四位下に昇叙。2月1日、還任。建長3年(1251年)1月5日、従四位上に昇叙〔皇后宮の当年御給による。〕。建長4年(1252年)1月13日、左中将に転任。建長5年(1253年)1月13日、備前介を兼ねる。建長6年(1254年)1月5日、正四位下に昇叙〔後嵯峨院の当年御給による。〕。建長7年(1255年)12月13日、播磨守を兼ねる〔後嵯峨院の御分による。〕。康元2年(1257年)12月13日、播磨守を止める。弘長3年(1263年)2月27日、母の喪に服していたが復任。文永2年(1265年)10月27日、蔵人頭に補される。 文永4年(1267年)2月23日、参議に任ぜられる。同月27日、改めて左中将を兼ねる。11月8日、従三位に叙される。文永5年(1268年)1月29日、備後権守を兼ねる。文永7年(1270年)9月4日、正三位に昇叙。文永10年(1273年)3月22日、備中権守を兼ねる。建治元年(1275年)1月6日、従二位に昇叙。同年9月14日、死去。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源具氏」の詳細全文を読む
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