翻訳と辞書
Words near each other
・ 源具氏
・ 源具行
・ 源具親
・ 源具選
・ 源典侍
・ 源兼俊母
・ 源兼善
・ 源兼子
・ 源兼定
・ 源兼宣
源兼忠
・ 源兼忠 (村上源氏)
・ 源兼昌
・ 源兼明
・ 源兼澄
・ 源兼綱
・ 源兼行
・ 源兼資
・ 源内
・ 源内峠


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

源兼忠 : ウィキペディア日本語版
源兼忠[みなもと の かねただ]

源 兼忠(みなもと の かねただ)は平安時代中期の公卿清和天皇の孫で、貞元親王の子。
== 経歴 ==
延喜17年(917年)に従五位下叙爵。その後備中権守三河権守侍従を歴任した。
延長9年(931年左兵衛佐に任ぜられる。承平2年(932年)には従五位上に叙され、承平5年(935年)には大和権介、承平6年(936年)には左衛門佐を務めた。承平8年(938年)には正五位下に陞叙し、天慶3年(940年)に中宮亮を兼ねる。天慶4年(941年)に従四位下に進み、近江権守春宮亮を務めた。
天慶8年(945年)に中宮権大夫を務め、翌年には正四位下左京権大夫に叙任される。その後右京権大夫に転じ、天暦5年(951年)に近江権守に任ぜられた。天暦8年(954年参議に任官し、公卿に列した。
天暦9年(955年備前権守になり、天暦10年(956年)には治部卿を兼任した。
天徳2年(958年)7月1日卒去享年58。最終官位は参議治部卿正四位下〔『日本紀略天徳2年7月1日条〕。娘の一人は兼家に嫁ぎ、藤原道綱母の養女となった女子を出産した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「源兼忠」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.