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源季実 : ウィキペディア日本語版
源季実[みなもと の すえざね]
源 季実(みなもと の すえざね、生年不明 - 平治元年12月30日1160年2月9日))は、平安時代末期の武将。諱は末実とも記される。文徳源氏周防源季範の次男。官位従五位下河内守周防判官と呼ばれる。
== 経歴 ==
左衛門少尉検非違使尉を歴任。父・季範が鳥羽法皇に仕える北面武士だった関係もあり、保元元年(1156年)の保元の乱に際しては後白河天皇の麾下に入り、はじめ淀路の警護に当たる。本戦において崇徳上皇方が総崩れになると、宇治路を固めて南都軍の備えに当たり、また藤原教長源成雅の逮捕や、斬首された源為義首実検、捕虜となった源為朝の護送といった戦後処理を担当した。
しかし乱の直後、信西天王寺参詣の供を辞退したことから、官位を剥奪され篭居する。このため、平治元年(1159年)の平治の乱においては藤原信頼源義朝に同心して信西を討ち取り、一時的に従五位下河内守に任ぜられる。しかし、やがて平清盛の反撃に逢い敗走。官を解かれた上で嫡子・季盛とともに捕らえられ斬首された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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