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源常 : ウィキペディア日本語版
源常[みなもと の ときわ]

源 常(みなもと の ときわ、弘仁3年(812年) - 斉衡元年6月13日854年7月15日))は、平安時代前期の公卿嵯峨天皇の子(第三源氏)。官位正二位左大臣正一位東三条左大臣とも呼ばれる。
== 経歴 ==
弘仁5年(814年)に兄のとともに源朝臣姓を賜与され、左京一条坊に貫付せられた。
天長5年(828年)17歳で無位から従四位下に直叙される。のち兵部卿に任ぜられ、天長8年(831年従三位に叙せられ、兄弟の源氏の中でいち早く公卿に列す。翌天長9年(832年)には21歳の若さで参議を経ずに中納言に昇進した。その後は、天長10年(833年正三位承和4年(837年左近衛大将、承和5年(838年大納言、承和7年(840年右大臣、承和8年(841年)従二位、承和11年(844年左大臣と順調な昇進を果たす。
承和10年(843年)には桓武朝末から長きに亘り公卿に列していた左大臣・藤原緒嗣の死去に伴い、常は32歳にして太政官の首班に立ち、その後10年にあまりにわたってその地位を占め、兄弟のとともに嵯峨源氏として朝廷の一大政治勢力をなした。また、承和7年(840年)に完成した『日本後紀』の編纂にも携わっている。
嘉祥3年(850年正二位斉衡元年(854年)に薨去。死後、正一位の位階を贈られた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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