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庭田 幸子(にわた ゆきこ、元中7年(1390年) - 文安5年4月13日(1448年5月24日))は、室町時代の女性。初名は経子、女房名は二条殿、院号は敷政門院。父は庭田経有、母は飛鳥井雅冬の娘。後崇光院伏見宮貞成親王の仕女であるが、親王の『看聞日記』をみるかぎり他に親王の妻に当たる女性はなく、事実上の正室格であったとみられる。後花園天皇、伏見宮貞常親王をはじめ二男五女の母。 永享6年(1434年)、従三位に叙任。文安元年(1444年)、准三后となる。文安5年(1448年)3月4日に院号宣下、同年4月13日に59歳で薨去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「庭田幸子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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