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源扶義 : ウィキペディア日本語版
源扶義[みなもと の すけのり]

源 扶義(みなもと の すけのり)は、平安時代貴族官位正四位下参議。字は源叔
== 経歴 ==
一般の上流貴族子弟の昇進過程とは異なり、学問を志して大学寮に入り、25歳であった天延3年(975年)に文章生となる。貞元2年(977年)8月に進士蔵人として六位蔵人に補され、同年12月図書助に任ぜられる。式部少丞を経て、天元3年(980年従五位下遠江権守に叙任される。
天元4年12月(982年1月)に円融天皇昇殿を許される。天元5年(982年安芸権守、翌年には河内守と地方官を経て、永観2年(984年)従五位上、寛和2年(986年正五位下と昇進。同年6月に寛和の変により一条天皇即位すると再び昇殿を許され、翌永延元年(987年五位蔵人右少弁に任ぜられ一条天皇の身近に仕える。
その後も弁官を務めながら順調に昇進し、正暦2年(991年)には従四位上蔵人頭頭弁)に叙任される。また、正暦4年(993年)には敦道親王元服に際して、同じく頭弁の源俊賢とともに秉燭を務めた〔『権記正暦4年2月22日条〕。正暦5年(994年参議右大弁に任ぜられ公卿に列し、一条天皇の九卿の一人と呼ばれるようになる。
議政官として、長徳2年(996年)左大弁、長徳3年(997年)には大蔵卿を兼帯するが、長徳4年(998年)7月25日に卒去享年48。死の10日前には仁王会に参じている〔『権記』長徳4年7月10日条〕。なお、没後の寛弘7年(1010年)10月15日に扶義の邸宅が焼失している〔『御堂関白記寛弘7年10月15日条〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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