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是忠親王[これただしんのう]
是忠親王(これただしんのう)は平安時代前期の皇族。光孝天皇の第一皇子。光孝源氏及び光孝平氏の祖。 == 生涯 == 当初三世王として是忠王を名乗っていたが、貞観12年(870年)2月14日に異母兄弟とともに源姓を賜与され臣籍降下する。貞観17年(875年)1月7日従五位下に叙爵、元慶元年(877年)1月3日従五位上に叙せられる。 侍従・左衛門佐を歴任し、父・光孝天皇が即位した直後の元慶8年(884年)4月13日に二世源氏から一世源氏に改められて左京一条に貫せられた。この時、同母弟の定省王(のち宇多天皇)及び同母妹3名も臣籍降下している。同年5月29日に正四位下に昇叙され、同6月8日に参議に任ぜられた。仁和元年(885年)1月16日に近江守を兼務して後に陸奥出羽按察使に転任。 仁和3年(887年)11月17日同母弟である宇多天皇の即位に伴い従三位に叙せられる。寛平3年(891年)に中納言に進むが、同年に宇多天皇の同母兄弟の皇族復帰が決定されて、光孝天皇第一皇子として三品に叙された。延喜元年(901年)に薨去した本康親王の後任として式部卿に任ぜられ、のちに一品に叙せられた。延喜20年(920年)に出家して2年後に病死した。 勅撰歌人として、『後撰和歌集』に1首が入集している〔『勅撰作者部類』〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「是忠親王」の詳細全文を読む
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