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源 是恒(みなもと の これつね、生年不詳 - 延喜5年7月28日〔『小右記』〕(905年8月31日))は、平安時代前期の賜姓皇族。光孝天皇の第8皇子だが母は不詳。官位は従四位上・美濃権守。養子に源衆望(嵯峨源氏源昇の子)がいる。 当初是恒王を名乗るが、貞観12年(870年)2月源朝臣の姓を賜与され臣籍降下〔『日本三代実録』貞観12年2月14日条〕。その後、出家して空性と号する。またその後、還俗して寛平8年(896年)11月に再び源朝臣姓を賜与される。延喜5年(905年)7月28日に卒去。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源是恒」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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