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源時元 : ウィキペディア日本語版
阿野時元[あの ときもと]

阿野 時元(あの ときもと)は、鎌倉時代初期の武将源頼朝の異母弟である阿野全成の四男。『尊卑分脈』によると、隆元(たかもと)とも呼ばれる。
==生涯==
四男でありながら、母が北条氏であった事から嫡男とされたと見られる。建仁3年(1203年)、父の全成は甥で2代将軍の源頼家と対立して殺害されるが、この時は外祖父北条時政や伯母の政子の尽力もあって連座を免れ、父の遺領である駿河国阿野荘に隠棲した。
建保7年(1219年)1月、従兄弟の3代将軍源実朝の死により征夷大将軍の座が空席となると、翌月その位を望み挙兵する。しかし思うように兵を集めることができないうちに、執権北条義時の命を受けた金窪行親の手勢に襲撃され、あっけなく討ち取られた。もっとも、この時期に義時の手によって源氏の血統が次々と粛清されていることから、時元の事件もその一環として起こったという側面もある。実際にどの程度時元が自ら望んで行動したのか、詳しいことは現在も分かっていない。
時元の子孫は武家の阿野氏として存続するが、この事件の影響もあって振るわず、数代を経て(南北朝期以降)記録から姿を消している。これとは別に、時元の姉妹と結婚していた藤原公佐が阿野荘の一部を相続し、その子孫は公家の阿野家として繁栄している。
時元の墓は静岡県沼津市大泉寺に父・全成のものと並んで現存し、市の史跡に指定されている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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