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源 朝任(みなもと の あさとう)は平安時代中期の公卿。大納言・源時中の七男。二條別當を号す。 == 経歴 == 長保3年12月(1002年1月)に元服する。加冠は春宮大夫・藤原道綱で、理髪は蔵人辨・藤原朝経が務めた。七、八人の公卿や十余人の殿上人が参会している。 長保5年(1003年)従五位下に叙爵し、侍従・左衛門佐を務める。寛弘3年(1006年)正月従五位上・少納言に叙任される。そして3月9日に少納言として初めて外記政を行った〔『権記』寛弘3年3月9日条〕。寛弘7年(1010年)一条天皇の五位蔵人に補任され、右近衛少将次いで左近衛権中将を務める。また、三条朝においても蔵人を務めた。寛弘8年(1011年)正五位下に叙され、美作権介を兼任。長和2年(1013年)従四位下に陞叙。 長和3年(1014年)右近衛中将に転じる。長和5年(1016年)従四位上次いで正四位下に進み、備前権守・備後権守・左近衛中将を歴任。寛仁3年12月(1020年1月)には蔵人頭に補された。治安3年12月(1024年2月)に参議に任ぜられ公卿に列す。その後、備中権守・右兵衛督を歴任。 長元2年(1029年)従三位・備前守に叙任される。同年中に藤原経通が検非違使別当を辞任したため、朝任が使別当に任ぜられた。 長元7年(1034年)9月16日薨去。享年46。歌人の大弐三位との交流が知られている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源朝任」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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