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源氏物語青表紙河内本分別條々 : ウィキペディア日本語版 | 源氏物語青表紙河内本分別條々[げんじものがたりあおひょうしかわちほんふんべつじょうじょう]
源氏物語青表紙河内本分別條々(げんじものがたりあおひょうしかわちほんふんべつじょうじょう)または源氏物語青表紙定家流河内本分別条々(げんじものがたりあおひょうしていかりゅうほんかわちほんふんべつじょうじょう)とは、源氏物語の青表紙本の本文と河内本の本文とがどのように異なるのかについて述べた書物である。広義には源氏物語の注釈書に含まれる。 == 概要 == 源氏物語の古注釈の中で本文の異同について触れたものは河海抄、花鳥余情など数多く存在するが、中でも最もまとまった形で青表紙本の本文が河内本の本文とどのように異なるのかについて取り上げたのは本書である。奥書によれば本書は延徳2年(1490年)の成立であり、大内政弘が猪苗代兼載に命じて作成させたとされる。現存する部分による限り本書は至って小規模な書物で、本文の異同を取り上げている場所は数項目に過ぎず、池田亀鑑は本書は源氏物語の本文についての本格的な注釈書といったものではなく、出先などで写本を調査したときにその本文が河内本であるのか青表紙本であるのかを簡単に判断するための鑑定便覧のようなものでは無かったかと推測している。本書で青表紙本や河内本とされている本文の多くは河海抄や花鳥余情といったそれ以前の注釈書において青表紙本や河内本とされていたものであるが、池田亀鑑が多くの写本を調査した上で完成した『校異源氏物語』(『源氏物語大成校異篇』)によって明らかになった青表紙本や河内本とはしばしば異なっており、池田は本書に記述について、「確かな伝本を確認した上で書いたのではなく、それ以前の注釈書の記述からの孫引きであったり記憶に基づいて書いたりしたのであろう。」としている。当時定家本を正しく伝えられているとされて主流になっていると言えた三条西家本系統の本文は現在では河内本や別本からの混入があると考えられているが、本書の記述による限り、全ての項目において青表紙本であるという評価を受けることになる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源氏物語青表紙河内本分別條々」の詳細全文を読む
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