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源満政[みなもと の みつまさ]
源 満政(みなもと の みつまさ)は、平安時代中期の武将。源経基の次男。満仲、満季らの同母兄弟。子に忠重 、忠隆、忠国らがある。八島大夫、村岡大夫などと号した。諱は満正とも記される。 == 経歴 == 正暦5年(994年)に行われた盗賊の追捕に際し、平維将や甥の頼親、頼信らと共に武者として捜索に動員されたことを伝える記事が初見とされる(『日本紀略』『本朝世紀』同年3月6日条)。武蔵守の任期を終えた長徳4年(998年)正月に治国の功として従五位上に叙される。同年、摂津守任官を望んだが叶わなかった(『権記』)。翌長保元年(999年)正月に正五位下に昇叙(『小右記』)。寛弘元年(1004年)以前に藤原実方の後任として陸奥守を務めている(『御堂関白記』)。 藤原道長にたびたび馬を献上をしていることや上流の貴族が多く住む左京一条に邸宅を所有していたことが『御堂関白記』に見えている〔長保元年(999年)12月26日、寛弘元年(1004年)12月27日にそれぞれ馬を10疋。さらに寛弘2年(1005年)正月19日には「翡翠」という名馬を献上している。また寛弘元年(1004年)12月29日には満政の郎党である氏高(氏不詳)と藤原為国がそれぞれ馬を献上している。〕〔寛弘6年(1009年)11月26日条に左京一条にあった満政邸の火災を伝える記述がある。〕ことから、兄や甥などと同じく摂関家に臣従する受領層の富裕な軍事貴族であったことが推察されている。また、平安後期に大江匡房によって記された『続本朝往生伝』には源満仲・頼光・平維衡・致頼らと共に一条天皇治世下における「天下之一物」としてその名が挙げられており、武士としての評価も高かったことがわかる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「源満政」の詳細全文を読む
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