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源義平 : ウィキペディア日本語版
源義平[みなもと の よしひら]

源 義平(みなもと の よしひら)は、平安時代末期の武将源義朝の長男。通称は鎌倉悪源太(悪源太、鎌倉源太とも)。母は京都郊外の橋本の遊女〔尊卑分脈〕または三浦義明の娘〔清和源氏系図〕であり、源頼朝義経らの異母兄にあたる。
== 生涯 ==

=== 大蔵合戦 ===

久寿2年(1155年)、父・義朝が叔父・源義賢(義朝の異母弟、木曾義仲の父)と対立した際には義賢の居館武蔵国比企郡の大蔵館〔(埼玉県比企郡嵐山町)など、大蔵館の場所には諸説有る〕を急襲し、義賢や義賢の舅・秩父重隆を討ちとって武名を轟かせた。この合戦は秩父一族内部の家督争いに端を発したものに、源氏内部の争いが結びついたものである。なお、この事件の後に義平が処罰されていないのは、当時、武蔵守であった藤原信頼と義朝が関係を深めており、信頼の黙認があって起こした事件であるからとする説がある〔元木泰雄『保元・平治の乱をよみなおす』(NHKブックス)〕〔野口実『源氏と坂東武士』(吉川弘文館)〕。
この大蔵合戦以降「鎌倉悪源太」と呼ばれるようになった。この「悪」は善悪の悪ではなく、「強い」「猛々しい」というほどの意味であり、「鎌倉の剛勇な源氏の長男」という意味である。中世の悪党の用法もこれと同じである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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